◆流浪のストライカー赤崎秀平と「大きすぎる存在」運命の人?

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こりもです
今年加入の選手では米本選手・吉田選手、何よりシミッチ選手が圧倒的に目立っていますが、赤崎秀平という男。非常に気になりませんか。 眼光鋭いその表情や銀髪のその外見はもちろんですが、醸し出すギラついた雰囲気も他選手とは違ったものを感じます。 何よりその経歴を調べるとより興味の沸く選手なんです。
加入時に ようこそ!赤崎選手 という記事を書きましたが、先日の記事を参考に改めてこのブログに落としておきます

DAZNのスターティングイレブンでも移籍について「話があった時、風間監督がいるチーム。 即決でした」と言うほど筑波大学時代の恩師である風間監督に心酔している選手です。
大学時代の華やかしい実績をひっさげてプロ入りするも、アントラーズ・フロンターレー・ガンバとなかなか一線で活躍が出来ず、そんな時に舞い込んだ尊敬する恩師のチームからの誘い。大きな希望を持っての移籍だったことでしょう。
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風間監督との出会い

グランパスに加入し、強く望んだ、風間監督のサッカーに久しぶりの触れて「変わらないところもあれば、進化しているところもある。なので、昔(大学時代)を思い出す作業と、プラス進化している部分はどんどん吸収して、モノにする作業の両方をやっていますね」と貪欲に成長をしようとしています。

そんな赤崎選手と風間監督の出会いは筑波大学。U-18日本代表の主力選手として活躍し、高校で既にに名前を知られた赤崎選手にとって、その出会を「衝撃的」という言葉で表現しています。

その時を回想して以下のように語っています

「すべてが衝撃的でした。これまでは自分のやりたいことばかりやっていたのが、やるべきことが整理されて、結果として点が取れるようになった。風間さんには、シュートに関しては最初から褒められていたけど、そのシュートをどれだけ打てるか。自分の土俵に持ち込むために、相手とのスペースを作ってから受けるとか、いつ相手を見るとか、いつ動き出して、どの角度で呼び込むかとか、ファーストタッチの置き方とか……。本当に細かい部分まで指摘をしてくれて、自分のプレースタイルが整理された
それに指導を受ければ受けるほど、話せば話すほど、風間さんはサッカーを深く理解していて、言語化していると感じるんです。そんな人に指導されること自体が衝撃的だったし、もっとサッカーが面白くなった。自分のベースを作ってくれたんです」

理論的
細かく的確な指導は今と変わらずです。若き赤崎選手はそれまでの経験やサッカー感をまるっきりひっくりかえされるほど、大きな影響を受けたことがわかります。
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輝かしい大学時代

衝撃的な2年間の風間監督からの指導で大学時代は圧倒的な成績を残していきます。

・1年生,3年生時に関東大学サッカーリーグ戦 得点王
・関東大学サッカー通算74試合48得点(通算最多得点をそれまで(渡邊千真選手)より10以上上回るゴール)
・ユニバーシアード日本代表として2011年は優勝に貢献、2013年には大会得点王

とんでもない実績です。
大学4年間でこういった活躍ができたのは、「2年間の風間監督の指導のおかげ」と赤崎選手は言う。
「僕のサッカー人生は風間さん抜きでは考えられない。好きとか嫌いとかいう概念をもう超えてしまっています。大学で個人タイトルを獲らせてもらったのは風間さんのおかげ。風間さんが自分の長所を引き出してくれたからこそ、自分が成長できた」
「好きとか嫌いとかいう概念をもう超えてしまっています」っていう表現、すごいですね。強い思いが伝わります。
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風間監督からの自立

こんな輝かしい結果を出す選手を、もちろん多くのJクラブが放っておく訳もなく、激しい争奪戦の結果、アントラーズに行くことを決める。
風間監督が指揮を執っていたフロンターレもその中のひとつだったにも関わらずです。

「心の中で『風間さんの下でしか成功できない』と思われたくない気持ちがどんどん強くなったんです。4年の時、フロンターレの練習に呼ばれたのですが、一緒に行った(谷口)彰悟は高校時代から声がかかっていた存在だったし、僕とフロンターレの縁は完全に風間さんだけだったんです。風間さんがいたから、練習参加をさせてもらったという印象があって、余計に他のチームに行きたいと思ったんです。
正直、『七光り』と呼ばれるのは嫌だった。『風間さんの下だから、点を取っているんだろ』と思われたくなかった。鹿島というクラブも本当に魅力的だし、競争が激しいチーム。ここで自分が挑戦をして、自分の力を証明したい気持ちが強かった」
と風間監督への気持ちが強ければ強いほど、自分の力で勝負がしたくなったのでしょう。もちろんその背景には大学時代の華やかしい実績からくる自信もあったのでしょう。覚悟をもって自ら厳しい「勝負の世界」に飛び込んでいったということです。
そんな鹿島でのルーキーイヤーは
・クラブの大卒加入者リーグ戦最多通算得点(5得点目)を記録
・翌年には シーズンの後半以降は2トップの一角として金崎夢生選手と攻撃の主力として定着。ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)ではニューヒーロー賞に輝く。
とまさに大学時代の勢いのまま、強力に存在感を示し、順風満帆なプロでのキャリアを歩みだします。
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サッカーエリートの挫折

順調に進んでいたかのように見えたプロ生活も、3年目からは結果を残せず、若手の台頭、FW選手の獲得の中で序如に出場機会を減らしていき、3年目~4年目にベンチにも入れない状況となってしまう。
何が原因だったのか、ただ単に早熟タイプの選手だったのか。
その後は活躍の場を求めフロンターレ・ガンバに移籍をするもチーム内競争に勝てず状況が好転することはなかった。

「ガンバではチャンスも与えてもらったのにも関わらず、完全に自分の力不足を痛感した。フロンターレでは厳しい競争でチャンスを掴みきれなかった。本当に悔しかった」
同年代には谷口彰悟、扇原貴宏、天野純、長澤和輝、高木俊幸などチームの主力として活躍している中、失意のどん底まで落ちた状態が続いたんです。特に谷口選手は筑波の同級生。悔しかったでしょう。
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風間監督からの期待と複雑な思い

実は風間監督は赤崎がプロに入ってからも、毎年のように彼にオファーを出し続けていたらしいです。風間監督のその高い目線の中でお眼鏡にかなうとは、相当能力を認められ、実際に高い能力を有していたからでしょう。
そんな監督からの期待に対しても、若き赤崎選手は「強い父親からの自立」のごとく、やはり複雑な心境だったようです。
「鹿島やガンバの時はまだ風間さんのところに行く強い『覚悟』が持てなかった。やっぱり『風間さんじゃないと』と思われるのが嫌だった。他の選手が風間さんのところに行く覚悟とわけが違うと思っているので、余計に覚悟が持てずに断り続けていたんです。 でも、昨年は試合にほとんど出ていないにも関わらず、声をかけ続けてくれた風間さんへ恩義を強く感じたんです。もう一度、風間さんのサッカーをやりたいし、フロンターレで出れなかった時間を、価値があるものにするためにも、今年が自分のプロサッカー選手としての勝負の時だと思った」
強い自我とプライドに加えて、風間監督の存在が大きすぎるからこその「揺れる思い」だったかと思います。外から見ると正直勿体無いような話ではあるが、どうしても「自分の力」で勝負したかったのでしょう。
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恩師との再会

そんな状態の赤崎選手に変わらず手を差し伸べ、その能力を求めたのは風間監督。
以前のような、複雑な感情や思いを持っている場合ではなく、「即決」といったように素直に自分の成長を強く求めたのではないでしょうか。

「筑波大の時は理想が強かったし、言葉で伝えることが多かったけど、今はいろんな角度から選手に伝わるようにアプローチをしている印象を受けます。言語化の質の進化もありますが、伝えきれていないと思うと映像を見せたり、個別で話したり、現象を伝えたりと、いろんなツールを使いながら方向性や課題を伝える。
「風間さんのサッカーに対する目は本当に鋭くて、例えば2、3週間後に本人が気づくようなことを指摘するんです。言われた時は気づけなくても、あるプレーをした時に『それだよ』と言われて、ハッとする。だからこそ、言われた言葉をきちんと頭の中に残しておかないといけない。
「僕の場合で言うと、『この状況で連続で動けていない』と言われた時に、それでゴールを決めたり、いいプレーができている手応えがあったとしても、そこにフォーカスを当てずに、その前のマイボールになった瞬間の動き出しを指摘されていた。それに別のプレーをした時に気づくんです。『(点を取れていたのは)結果オーライだったんだな』って」
「風間さんは大学時代よりも見えているところがより細かくなった。1人1人をしっかりと注視していて、それを11人、紅白戦なら22人隈なく見る。選手からしたら、ずっと見られている感覚があるんです。だからこそ、締まった練習になるし、選手も風間さんの言っていることを理解したらもっとうまくなれる信頼があるからこそ、今の名古屋のサッカーができていると思います」
常に意識をしていた恩師もまた常に進化をしている。それが自分の大学時代の礎に更に上乗せをする作業につながり、充実した毎日を送ることができているのではないでしょうか。
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監督の下で自分の力で勝負

加入したグランパスは3年という年月を費やし、監督が育て上げているチーム。すでにそのレベルは高く、ジョーという絶対的なエース、昨年ブレイクを果たした前田、グランパスの成長に大きく貢献しているシャビエル、FWとして開花したアーリアと高いレベルの選手はそろっている。風間監督からの誘いで加入したことなんて全く関係がない。激しい競争の中に身をおいている状況です。

「風間さんからは『連続で動き続けろ。そこで自分が好きな角度、タイミングでシュートを打て』と言われています。今、僕はアーリアくんとポジションを争っている形になっていますが、いつまでも『ジョーを生かすためのアーリアくんと僕の勝負』ではダメだと思っています。『ジョーの片割れ』ではなく、僕がジョーのポジションを奪いに行かないといけない。それくらいの気持ちでやらないと成長しないし、上を目指せない。

だからこそ、今は僕がジョーにも点を取らせて、自分も点を取るか、圧倒的に自分が点を取るかの2つが1番の解決策。チャンスがきたら証明し続けるしかないんです。そう思える今の環境には心から感謝をしています」

このギラギラ感が他選手と違う雰囲気を感じるところです。監督同様、見ているところが非常に高いからこそ、こういった発言になるのでしょう。こういう選手がいるからこそガチの競争が生まれるんだと思うと非常に頼もしい存在です。
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進化する、変わらない風間サッカー。本当に楽しい

そういった厳しい環境下でも、1から勝負をしかけています。カップ戦でも出場した試合では結果にこだわり激しいプレーをする。1つ1つの試合や練習も手を抜かず、リーグ戦出場のチャンスも自らの力で掴み取り、C大阪戦での豪快なゴールは記憶に新しいですね。まさにゴールへ一直線。ストライカーらしいゴールを見せてくれています。本来の赤崎選手の能力が目を覚ましかけているのでしょうか。

「風間さんは先月よりも今月、今月よりも来月と、日々進化しているので、そこについていくのに僕も含めて、みんなが必死なんです。懐かしい部分と新しい部分が混在して、さらに変わらない驚きもあって、今は本当にサッカーが面白いと心から思えています」
「実際に今年の開幕戦と湘南戦を見比べたら分かると思うのですが、やっていることが進化しているんです。全体の連動にしても、局面の打開にしても、『次の段階』に進んでいる。今は全員が点を獲ろうとしているし、風間さんは良く『システム11』と言うけど、11人全員がストライカーであり、ディフェンダーであることを体現している。CBの選手がこれだけアシストして、中にも入っていくのがその証拠で、それをみんなが理解して表現するようになったと思います。今の名古屋の成績は何ら不思議なことではないと思っています。 だからこそ、僕はこの進化する風間監督、名古屋の中で常に必要な選手としてテーブルに乗り続けないといけないんです。風間さんの手持ちのカードに入り続けて、最後にFWで一番上にいるようにやっています」
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風間監督のすばらしさを結果で証明する

「大学生時代にお世話になった人が、Jリーグの第一線の監督というのは他の人ではなかなか経験できないこと。だからこそ余計に僕が試合に出ることが、『教え子だから』と見られてしまうことはまだまだあると思う。 でも、それを覆すのは自分が出す結果しかない。風間さんは『教え子だから』使うような人間ではありません。でも僕が結果を出さないと、風間さんまでそういう目で見られてしまう。違うんです。風間さんが素晴らしい監督で、素晴らしく、かつ的確な目を持っている監督であることを、外でもない僕が結果で証明しないといけないんです。いちプロサッカー選手として、風間さんが世に誇れる存在になりたいんです」
といつまでたっても 赤崎選手の中に風間監督は大きく存在するんですね。 そんな「心から慕う存在から離れ自立すると」いう、これまでのプライドや思いから「自分の成長で監督の素晴らしさを証明する」と素直に風間監督についていくことを選んだ今。さらなる進化が期待できます。
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最後に

改めて非常に興味深いサッカー選手です。 これほどまでに他人を慕い、自分の行動を左右するほど存在は私には考えられません。 その存在の大きに苦しみながら、求めながら ようやく覚悟をもって再会した赤崎選手。 その鋭い眼光や醸し出す雰囲気の元がわかるような気がします。  「風間監督だから」「教え子だから」と言われないよう、「赤崎秀平」というサッカー選手として結果を出し、その存在を確立して欲しいです。


(参照記事)大学時代から「風間イズム」を知る男。点取り屋・赤崎秀平は名古屋で輝くか。(NUMBER)
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